高橋 残夢 たかはし ざんむ
   

詠水雞
閨の戸も こよひはささで かせをのみ
萬期の木末に なく水雞なり
詠水雞
閨(ねや)の戸も 今宵は笹で 風をのみ
槙の梢に 鳴く水雞(水鷄)なり
32.3p×41p

安永4(1775)生〜嘉永4年2月27日(1851年3月29日)歿
 京都室町に生まれる。名は正澄・正徴、清園・心月洞・有所遊居などと号した。通称は元右衛門。父は備中松山(岡山県高梁市)出身の富豪、平松正春。
 14歳になる天明8年(1788)、京の大火に遭って室町の生家を焼失し、一家と共に備中に帰郷する。この年、同国笠岡の庄屋高橋家に懇望されて養子となった。
 京と備中を往還し、初め鴨祐為に、のち香川景樹に和歌を学ぶ。桂門十哲の一人で、熊谷直好・木下幸文・菅沼斐雄と共に桂園門下の四天王と称されるまでになるが、文政5年(1822)、讒言によって家産を没収され、備中を追われた。前年木下幸文が夭折していたため後継の指導者に請われ、大坂に出て幸文の歌塾を継ぐ。以後、山片重信・井上喜好ら富裕な門人の援助を受け、歌道と語源研究・言霊研究に専念した。
 文政12年10月、出家後は残夢を称した。晩年に失明するが和歌は詠み続け、「残夢さぐり書き」と呼ばれる短冊が残っている。
家集に『塵室草露』三巻、『心月詞花帖』二巻、『清園詞草』三巻、『清園後草』四巻、『残の夢』三巻(続日本歌学全書第十編所収)などがある。
 また、言霊(ことだま)説の大成者で、書に『国語本義』『国字定源』『言霊名義考』『和歌六体考』などがある。

推奨サイト
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/zanmu.html
https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%AE%8B%E5%A4%A2-18873
http://www.weblio.jp/content/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%AE%8B%E5%A4%A2


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